キバリオンや潜在意識について学んでいくと、多くの人がある地点で立ち止まる。
原理は理解できた。
構造も腑に落ちた。
でも、じゃあ日常ではどうすればいいのか。
結局、何をすれば現実が変わるのか。
この問いが出てくるのは自然なことだ。
人はどうしても「使い方」や「方法」を知りたくなる。
ただ、ここで一つ重要な前提がある。
キバリオンは、そもそも「使うための教え」ではない。
**キバリオン**が示しているのは、
人生を操作する方法ではなく、
すでに動いている原理に気づくための視点だ。
この前提を外してしまうと、
潜在意識もまた「うまく使えない道具」になってしまう。
では、キバリオン的に見たとき、
潜在意識の「使い方」とは何なのか。
答えは意外と地味で、
そして多くの人が見落としているところにある。
それは、
前提を変えようとしないことだ。
多くの潜在意識メソッドは、
前提を変えることを目的にしている。
思考を書き換え、感情を整え、
理想の状態を刷り込もうとする。
しかしキバリオンの視点では、
前提は「変えるもの」ではなく、
気づくものに近い。
なぜなら、
前提とは無意識の立ち位置であり、
力を入れて操作できる領域ではないからだ。
たとえば、
「うまくいっていない」と感じているとき。
多くの人は、
この状態を早く抜け出そうとする。
ポジティブになろうとする。
行動量を増やそうとする。
気分を上げようとする。
しかしこのとき、
無意識の前提はこうなっている。
「今の自分はダメだ」
「この状態では足りない」
「変わらなければならない」
キバリオンの照応の原理から見れば、
この前提は非常に素直に現実に映る。
つまり、
「変わろうとしている状態」が続く。
ここでキバリオン的な実践が始まる。
実践と言っても、
何か特別なワークをするわけではない。
やることは一つ。
今の前提を、そのまま認める。
うまくいっていないなら、
「今はそういう前提で立っている」と気づく。
焦っているなら、
「焦りの振動が出ているな」と見る。
良い・悪いの判断を入れない。
これは諦めではない。
むしろ、原理に沿った態度だ。
キバリオンでは、
原理は常に働いている。
否定しようが、信じようが関係ない。
だからこそ、
今の状態を否定しないことが、
最も原理に沿った行動になる。
この態度が身についてくると、
日常の選択が自然に変わり始める。
たとえば、
部屋が散らかっているとき。
以前なら、
「片付けなきゃ」
「こんな状態じゃダメだ」
と自分を追い立てていたかもしれない。
しかし前提に気づくようになると、
こう感じ始める。
「今は物が多い前提で生活しているな」
「この状態、ちょっと重いな」
すると、
無理なく一つ手放したくなる。
断捨離が自然に進むのは、
意志が強くなったからではない。
前提が少し軽くなったからだ。
これは仕事や創作でも同じだ。
書けないとき、
やる気が出ないとき、
多くの人は自分を責める。
しかしキバリオン的には、
それも一つの振動であり、
一つの前提だ。
「今は止まっている前提」
「今は出力が少ない状態」
そう認めると、
なぜか一行だけ書けたりする。
完璧を目指さない。
量を出そうとしない。
ただ、出てくる分だけ出す。
このとき、
潜在意識は強い抵抗を感じない。
なぜなら、
否定も操作もされていないからだ。
この「抵抗のなさ」が、
結果的に継続や量産につながる。
キバリオン的に見ると、
行動とは「結果を出すための手段」ではない。
今の前提を外に表す行為だ。
前提が軽ければ、
行動も軽くなる。
前提が重ければ、
行動も重くなる。
だから、
行動を変えようとする前に、
前提への態度が変わる。
この感覚が掴めてくると、
潜在意識を「使っている」という感覚は消えていく。
代わりに、
「勝手にそうなっている」
という感覚が増えていく。
ここまでが、
キバリオン的に見た潜在意識の実践の前半部分だ。
ここから先は、キバリオン的な前提の扱い方が、なぜ仕事や創作、出版といった現実的な行動にまで影響してくるのかを見ていく。
多くの人は、行動量や結果を増やそうとするとき、無意識にこう考える。
「もっと頑張らなければならない」
「今の自分では足りない」
「このままではダメだ」
この考え方は一見、前向きに見える。
しかしキバリオンの照応の原理から見ると、これは非常に分かりやすい前提でもある。
「足りない状態から、足りる状態へ行こうとしている前提」
この前提に立って行動すると、現実はどう反応するか。
当然のように、「まだ足りない状況」が続く。
なぜなら、原理は努力や根性を見るのではなく、立ち位置を映すからだ。
一方、前提に気づき始めた人は、行動の質が変わってくる。
たとえば、出版や文章を書く行為。
以前は、「良いものを出さなければ」「価値を出さなければ」と力が入っていたかもしれない。
しかし前提を操作しなくなると、
「今出てくるものを、そのまま出していい」
という感覚に近づいていく。
この感覚は、怠けではない。
むしろ、原理に沿った状態だ。
キバリオンでは、万物は振動しているとされる。
そしてその振動は、無理に高めるものではない。
力が入った状態は、振動が荒くなる。
逆に、力が抜けた状態は、振動が安定する。
文章やコンテンツも同じだ。
力んで書いたものは、どこか重い。
自然に出てきたものは、不思議と伝わりやすい。
これは才能の問題ではない。
前提の違いだ。
「ちゃんとしなければ」という前提で書くか、
「今の状態を表現するだけ」という前提で書くか。
後者のほうが、潜在意識は抵抗しない。
抵抗がないから、継続できる。
継続できるから、量が出る。
量が出ると、結果が後から追いついてくる。
この順番が、キバリオン的な流れだ。
多くの人は、この順番を逆にしようとする。
結果を出すために量を出し、
量を出すために自分を追い立てる。
しかしそれは、原理の流れに逆らっている。
キバリオン的に見ると、
量産とは努力ではなく、副産物だ。
前提が軽くなった結果、
自然に出てしまうもの。
だから、
「毎日やらなきゃ」
「継続しなきゃ」
と気合いを入れなくてもいい。
出る日は出る。
出ない日は出ない。
それを含めて、今の前提だと認める。
この態度が、結果的に一番長く続く。
日常生活でも同じことが起きる。
人間関係が重いと感じるとき、
多くの人は、関係性をどうにかしようとする。
もっと好かれようとしたり、
嫌われないように振る舞ったりする。
しかしキバリオン的には、
それも一つの前提だ。
「今の自分では足りない」
「受け取るには条件が必要」
この前提が、同じ関係性を繰り返す。
一方で、
「今はこう感じている」
「この距離感が今の前提」
と認めると、関係性は静かに変わり始める。
無理に変えなくても、
関わり方が自然にずれる。
これも照応の原理だ。
潜在意識は、
「変えようとしている状態」よりも、
「変えようとしていない状態」に敏感だ。
なぜなら、そこには緊張がないからだ。
緊張が抜けたところから、
行動も選択も、少しずつ変わる。
キバリオン的な実践とは、
何かを足すことではない。
何かを信じ込ませることでもない。
むしろ、
余計な力を抜き、
原理がそのまま働く余白をつくることだ。
潜在意識を「使おう」とするほど、
前提は固まる。
潜在意識を「観察する」ようになると、
前提は自然に動き出す。
この違いは小さいようで、決定的だ。
もし今、
行動が重い
続かない
やる気が出ない
と感じているなら、
それは前提を責めるサインではない。
「今はそういう前提に立っている」
ただそれだけだ。
そこに善悪をつけない。
直そうとしない。
すると、
ふとした瞬間に動きたくなる。
一行書きたくなる。
一冊出したくなる。
一つ手放したくなる。
その小さな動きが、
次の前提をつくる。
キバリオンと潜在意識が示しているのは、
この静かな連鎖だ。
無理に人生を変えなくていい。
無理に自分を整えなくていい。
ただ、
今どんな前提で立っているかを見る。
それだけで、
現実はすでに反応し始めている。

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