引き寄せの法則や潜在意識について学んできた人ほど、ある時ふと、説明しにくい違和感を覚えることがある。
やり方は理解しているはずなのに、なぜか疲れる。
ポジティブでいようとするほど、心が重くなる。
整えれば整えるほど、現実が動かなくなる。
この感覚は、失敗でも才能不足でもない。
むしろ多くの場合、「表面的な方法論」から先へ進もうとしているサインでもある。
引き寄せや潜在意識の話題は、現代では非常に多く語られている。
アファメーション、イメージング、感情の管理、思考の書き換え。
どれも間違ってはいないが、それでも「どこか浅い」と感じる人が一定数いるのも事実だ。
そうした人が無意識に探しているのが、
「なぜそうなるのか」という、原理そのものだ。
そこで出てくるのがキバリオンという書物である。
キバリオンは、古代のヘルメス思想をもとにまとめられた哲学書で、引き寄せや潜在意識という言葉が生まれるより、はるか以前に書かれた思想体系だ。
そこでは、現実がどのような構造で成り立っているのかが、非常にシンプルな原理として示されている。
重要なのは、キバリオンは「願いを叶える方法」を教える本ではないという点だ。
それよりも、「現実とはそもそもどういう仕組みで動いているのか」を説明している。
この視点に立ったとき、潜在意識という概念は、急に別の顔を見せ始める。
キバリオンの中で、最も有名な原理のひとつが「精神性の原理」だ。
これは、「万物は心である」という考え方を示している。
この言葉を、スピリチュアル的に捉える必要はない。
ここで言われている「心」とは、個人の感情や性格というよりも、意識そのもの、前提としての在り方に近い。
現実は物質が先にあって、心が後から反応しているように見える。
しかしキバリオンでは、その順序が逆だとされる。
まず意識の前提があり、その前提が、見える世界として表れている。
これは、潜在意識の考え方とほぼ同じ構造を持っている。
潜在意識とは、願いを叶えるための裏技のように扱われがちだが、本質はそこではない。
潜在意識とは、自分が「当たり前だと思っている前提」の集合体だ。
何を信じているか。
どこまでを許可しているか。
どの状態を通常モードだと思っているか。
これらは普段ほとんど意識されないが、現実の選択や行動、出会い、結果に強く影響している。
キバリオンの精神性の原理は、この構造を非常にシンプルに示している。
世界は外側にあるものではなく、内側の前提が投影されたものだという考え方だ。
ここで重要なのは、「思考を変えれば現実が変わる」という短絡的な理解をしないことだ。
キバリオンが示しているのは、もっと深い層の話である。
一時的な思考や感情ではなく、
「どんな状態が普通だと思っているか」
「自分はどんな立ち位置にいると思っているか」
そういった無意識の前提が、現実のベースになっている。
この前提が変わらない限り、どれだけ表面的な思考を操作しても、現実は同じパターンを繰り返す。
引き寄せがうまくいかないと感じる人の多くは、ここで消耗している。
ネガティブな感情を消そうとし、ポジティブを維持しようとし、常に自分を監視する状態に入ってしまう。
しかしキバリオンの視点では、
「感情を管理すること」そのものが、すでに原理からズレている。
なぜなら、原理は「状態」が先で、「コントロール」は後だからだ。
潜在意識が反応するのは、言葉やテクニックではなく、
その人が自然に立っている状態、力の入っていない前提である。
ここで次に重要になってくるのが、キバリオンのもう一つの原理、照応の原理だ。
「上なるものは下なるものの如し。下なるものは上なるものの如し。」
この言葉は難しく見えるが、意味はシンプルだ。
内側で起きていることは、外側にそのまま表れる。
外側の出来事は、内側の状態を映している。
これは潜在意識の世界でよく言われる
「現実は心の投影」という考え方の原型でもある。
ただし、ここでも重要なのは、
「現実が悪いから心を変えよう」という発想に陥らないことだ。
キバリオンの照応の原理は、
良い・悪い、正しい・間違いという判断を超えたところで働いている。
今見えている現実は、ただ現在の前提を忠実に映しているだけ。
責める必要も、修正する必要もない。
この視点に立つと、潜在意識との付き合い方が大きく変わる。
何かを必死に変えようとするのではなく、
「どんな前提で立っているか」に自然と意識が向かうようになる。
そして、この「前提」は、無理に変えようとすると逆に固定される。
ここまでが、キバリオンと潜在意識が同じ地図を指している理由の前半部分だ。
ここまで見てきたように、キバリオンと潜在意識は、まったく別の時代・別の言葉で語られていながら、指している構造はほぼ同じだ。
どちらも「現実を変える方法」より先に、「現実がどう成り立っているか」を扱っている。
それにもかかわらず、現代の潜在意識論が苦しく感じられることがあるのはなぜだろうか。
その理由のひとつが、原理と操作を取り違えてしまう点にある。
キバリオンでは、世界は原理によって自然に動いているとされる。
そこに「頑張り」や「意志力」を持ち込む発想はない。
原理は、信じようが信じまいが常に働いている。
一方、潜在意識の世界では、
「正しく使えば変えられる」
「やり方を間違えると叶わない」
といったニュアンスで語られることが多い。
この瞬間、潜在意識は「操作対象」になってしまう。
キバリオンの視点から見ると、ここに大きなズレが生まれる。
なぜなら、原理は操作するものではなく、すでに働いているものだからだ。
このズレが、引き寄せ疲れや潜在意識疲れを生み出す。
うまくいかないとき、人は無意識にこう考える。
「もっと整えなければ」
「もっとポジティブでいなければ」
「まだ足りないのかもしれない」
しかしこの姿勢そのものが、「足りていない前提」に立っている。
キバリオン的に言えば、その前提がそのまま照応し、現実に映る。
つまり、変えようとすればするほど、同じ構造が維持される。
ここで重要になるのが、極性の原理だ。
キバリオンでは、すべてのものは両極を持ち、同じ線上に存在するとされている。
暑いと寒い、明るいと暗い、安心と不安。
これらは対立しているようで、実際には同じ軸の位置違いにすぎない。
潜在意識の文脈で言えば、
「ポジティブ」と「ネガティブ」も同じ線上にある。
ネガティブを消そうとするほど、
ポジティブを維持しようとするほど、
人はその軸に強く意識を縛られる。
結果として、どちらにも振れ続ける。
キバリオンが示しているのは、
極を移動しようとするのではなく、
その軸そのものから一歩引いた視点だ。
この視点に立つと、
ネガティブな感情が出てきても、
無理に消す必要がなくなる。
それはただ、今そういう振動が起きているという事実に過ぎない。
潜在意識が本当に反応するのは、
感情の一時的な波ではなく、
それをどう扱っているかという態度の方だ。
不安が出てきたとき、
「ダメだ」と判断するのか、
「そういうこともある」と流すのか。
この違いが、前提を少しずつ変えていく。
キバリオンと潜在意識が重なるもう一つのポイントが、振動の原理だ。
万物は振動している。
これは、現代で言われる波動や周波数の元になった考え方でもある。
ただし、ここでも誤解が起きやすい。
振動を「高く保とう」とする発想だ。
キバリオン的には、
高い振動を目指す必要はない。
今の振動を否定しないことの方が重要になる。
なぜなら、否定そのものが強い振動を生み、
結果的にそこに留まり続けるからだ。
潜在意識も同じだ。
「この状態ではダメだ」と思っている限り、
その状態を基準点として固定してしまう。
逆に、
「今はこうだけど、それも含めて普通」
と扱い始めると、
基準点が静かにずれていく。
これは努力というより、解除に近い。
キバリオンは、人生をコントロールするための教えではない。
むしろ、余計な力みを外し、
自然に動いている流れに気づくための地図だ。
潜在意識も本来は同じ役割を持っている。
何かを無理に書き換えるものではなく、
すでに動いている前提に気づくための概念だ。
この視点に立つと、
断捨離や環境を整える行為の意味も変わってくる。
物を捨てること自体に魔法があるわけではない。
「もう要らない」と判断することで、
自分の前提が更新される。
これは思考ではなく、行動を通した前提の変化だ。
キバリオンと潜在意識の共通点は、
どちらも「今の自分がどこに立っているか」を扱っている点にある。
何を信じているか。
どこまでを許可しているか。
どの状態を通常だと見なしているか。
これらは、努力ではなく、日常の選択に滲み出る。
無理に引き寄せようとしなくても、
無理に整えなくても、
前提が軽くなると、現実は自然に反応し始める。
キバリオンはそれを、何千年も前に原理として示していた。
潜在意識論は、それを現代の言葉で説明し直しているにすぎない。
もし今、引き寄せや潜在意識に疲れを感じているなら、
それはやめ時ではなく、
一段深い理解に進むタイミングなのかもしれない。
方法から原理へ。
操作から観察へ。
コントロールから信頼へ。
キバリオンと潜在意識が交わる地点には、
そのヒントが静かに置かれている。

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